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ドレスにエコバッグ、新幹線にも――
新たなステージへ向かう「博多織」の未来を探る

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■息を飲む美しさ-福岡アジコレに博多織のドレスが登場

 3月22日、蛯原友里さんや押切もえさんら有名モデルらが登場、若い女性らを中心に約7,000人が訪れたファッションショー「福岡アジアコレクション」が行われた。3ステージに分かれたショーで、多くのアパレルブランドに混ざって、地元産業である久留米絣や博多織を使ったステージが行われた。その中で博多織のドレスをデザインしたのが30代の女性向けブランド「DIABLOTIN」を手がけるoffice TESI のデザイナー・パタンナーのエルザさん。ショーの出展にあたり、初めて博多織を手にしたエルザさんに、博多織の魅力について話を聞いた。



「福岡アジアコレクション」-7,000人が大歓声、押切もえさんらも登場(博多経済新聞)

福岡アジアコレクション(FACo)

■博多織を一層引き立てるには―生地には様々な可能性

 自身も10代からショーやパネルモデルをこなし、20代では大手レコード会社のオーディションで最優秀賞を受賞、主に楽曲制作を手がけるアーティストだったという幅広い才能を持ち、結婚を機にモデル経験を生かしたデザインやパターンを手がけるようになったエルザさん。今回のショー出展にあたり、コンペで博多織のドレスを制作することに。


 当初は「何となく色味の地味な帯」というイメージだったという。しかしドレスのデザインを手がけるうちに最初の印象は覆され、「ただ厚いばかりの生地だけでなく、とても薄くもすることができ、厚みも調整ができる」と話し、「染色から職人が作る、深みのある色…例えば朱色や、とてもいい色のブルーやピンクがあった。豊富で深みのある色の見本帳にも驚いた」という。


 魅力を知ったエルザさんは、博多織をドレスの中でどのように引き立てるかを考え、10パターン以上のデザインを作成。織柄の素晴らしさと、平面的にも凹凸にもできる博多織の特徴を生かそうと、3つのドレスを制作した。今回ショーで採用されたのは、その名も「扇」と名付けられたピンクのドレス。何枚も羽のようにになった部分は、縫製にあたってとにかく苦労したという。生地の裁断面が特にデリケートで、ちょっとしたことでほつれることがあるからだ。全国の洋裁店に縫製の依頼を問い合わせても、難しい返事ばかりで、ついには自身のネイルを外し、ハンドクリームを塗って、お湯で柔らかくして…という作業を繰り返し、完成に至ったという。それでもエルザさんは、博多織のステージを成功させた笑顔に満ち溢れていた。

■デザイナーが考える博多織の魅力とは―ビンテージ感覚

 これまで博多織のドレスを見たことはあったというが、「自分も人ももっと来て見たくなるようなものにしたかった」と話し、「デザイナーでないと作れないもの、そして博多織でないとできないもの―素材のよさが生きるものを作りたかった」と語った。


 また今回のドレス制作を通じて、「博多織を今後もっと知ってもらいたいという気持ちが芽生えた。古臭いものとして考えるのでなく、ビンテージとして受け取ってもらえるか。そこがデザインが力を貸せるところではないだろうか」と話す。また「博多織のアイテムがただ増えればいいというのではなく、ウェディングや特別な席で着る大切なもの…そういう希少価値が生まれるようになれば」と話し、今後もさまざまな提案の中で博多織を材料にしたものを検討していくという。


「イタリアのおじいちゃんのテーラーが、肩を触って、それだけで生地に線を入れていく―古くてもアナログでも、それを経験や情報をもって、古くていいものは残していきたい」


■「今が博多織の曲がり角」―伝統を守ってきた人々


 一方で、博多織の老舗は、現在の状況をどう見ているのだろうか。博多織発祥の地とされる承天禅寺の住職に博多織の袈裟を仕立てたほか、4年連続で博多織求評会の内閣総理大臣賞を受賞した「筑前織物」の丸本繁規社長は「今が博多織の曲がり角というか、踊り場に来ている」と話す。


 創業者である、丸本社長の父親が1949(昭和24)年に創業し、翌年株式会社となった同社。その直後に生まれ、博多織を長年見てきた丸本社長は、近年の博多織という産業についてこう話す。「終戦後は物がなく、とにかく作れば売れた時代があった―当時は和装文化の時代で、よそ行き、フォーマルは皆和服だった―」。


 博多織業界は高度成長期に伴い生産・売上とも右肩上がりの成長が続いたが、昭和50年代に入ると洋装化が進み、この時をピークに生産量・売上も下がっているという。また、過剰供給を防ぎ、独自の技術・文化を守るために、昭和60年代に入り共同廃棄事業が推進された。織機を破砕、生産調整を行うことで日本独自の文化を守ってきた。これは平成10年過ぎに解除されたが、すでに現在は織機自体が生産されていないため、中古機材を買い込み、メンテナンスによって稼働させている部分も大きいという。


 こういったことが功を奏し、一般的に30センチの幅で仕上げる博多織だが、同社だけが150センチ幅の生地を作ることができるという。これが前述のドレスにも使われ、デザインの自由度を大きくした。



山笠で「博多織」の袈裟を住職が着用-承天禅寺で贈呈式(博多経済新聞)

博多織求評会・一般公開迫る-発祥の地・承天禅寺で(博多経済新聞)

■老舗だからこそできる、博多織の提案-駅や新幹線にも

 ほかにも同社は、今年2月に都内のホテルで行われた「桂由美45周年記念 2009グランドコレクション イン 東京」のドレス生地を提供したほか、昨年10月にパリで行われた「博多織・久留米絣コレクションインパリ」でも博多織のドレスやスーツを出展。ほかに社長夫人の眞知子氏が博多織らしさを生かし考案した「博多献上柄 ちょっと上質なエコバッグ」は昨年度の福岡産業デザイン賞の奨励賞を受賞しており、東京ミッドタウンのとある店舗で2月に限定販売をスタート。4月からはネット販売を行うなど、様々なアイディアを盛り込んだ活動にも積極的だ。



 また業界や県を通じての推進も盛んだ。同社をはじめとした県下7つの博多織メーカーと福岡商工会議所などで2006年、博多織の市場開拓に向けたプロジェクト「HAKATA TEX PROJECT(博多織新商品開発支援事業)」がスタート。ホテルのスイートルームに博多織を提案するなど献上柄を前面に打ち出し、壁面やカーペットやいす、ランプシェードなどを手がけた。


 このノウハウを生かして、同社と老舗2社で昨年10月、「博多テックスLLP(有限責任事業組合)」を正式に立ち上げ、インテリアファブリックを中心とした新しい博多織の形に向けてスタートを切った。これまで家具メーカーへの生地提供、コラボレーションなどさまざまな提案を行っており、今夏から2010年秋にかけてお目見えとなる九州新幹線の最新車両、新N800系にも、同組合が提案するタペストリーが飾られるほか、新博多駅への提案も行っている。


博多織の新たな商品開発へ-博多テックスLLPが発足(博多経済新聞)

ロングセラーいすに博多織-大塚家具、地元の老舗と共同開発(博多経済新聞)

九州新幹線「新800系」順次導入へ-車内随所に九州の伝統工芸(博多経済新聞)



 博多織の伝統と受け継がれてきたものを重んじながらも、従来の博多織とは違った方向性を打ち出す。丸本社長が考えていること――。「博多織といえばやはり帯。博多織が今後どういった方向に行ったとしても、帯は必ず残る」と力強く話した。しかしながら「着物を着る機会をもっと増やしていきたいし、そのためには日本の文化やその歴史を知るということ、そのよさのPRも必要で、実際に見たり触れられる機会を増やし、興味を持ってもらうきっかけづくりができれば」と話す。
筑前織物株式会社


 例えば「博多町家」ふるさと館で博多織の手織りの実演を見ることができる。また福岡市は、同館に近い上川端町の旧冷泉公民館の建物を改装し、博多織や博多人形を中心とした地元伝統工芸品を展示する常設ギャラリーを計画。九州新幹線鹿児島ルートが全線開通する2011年春の開館を目指している。


■博多織の未来を担う生徒たち-博多織デベロップメントカレッジ


  昨年、地域発NHKドラマで、星野真里さんがヒロインを務めた「博多はたおと」。博多の伝統工芸である博多織の職人養成学校に入学、地域の伝統文化を残す難しさに直面し、成長する姿を描いて話題を呼んだ。この実際のモデルとなったのが、博多織の後継者育成を目的に、10年間の期間限定で設立されたNPO法人の学校「博多織デベロップメントカレッジ」だ。


 2006年に開校、業界主導でNPO法人として学校を作った初の試みとして注目され、現在は男性2人を含む2年生13人と1年生5人が在籍。今年初めて、第1期生の専攻科2人が卒業する。いずれも数々の伝統工芸展で在学生・卒業生が入賞・入選するなど活躍している。


 3月18日から専攻科1期生の卒業作品展が、20日からは2年生の卒展がアクロス福岡で行われ、2年間のカリキュラムを終えて、卒業する13人の作品計81点が展示された。卒業生らは自ら織った帯を締め、艶やかな着物姿で来場者に作品の想いを伝えていた。


博多織の専門学校、新設の専攻科を地元にお披露目-七夕の日に(博多経済新聞)

NHK福岡放送局発「博多はたおと」-高視聴率で全国放送へ(博多経済新聞)

星野真里さんが博多織のドラマに挑戦-NHK「博多はたおと」ロケ風景公開(博多経済新聞)

■新鋭たちが考える博多織の未来

 今回専攻科までの3年間のカリキュラムを終えた第1期生の村田美帆さんは、もともと茶道を嗜んでいたこともあり、新聞を見て応募したという。最初は「とにかく織るまでの準備にしばらく時間がかかった」といい、時にはのこぎりを持ち出して織機の準備に追われたことも。3年間懸命に勉強に励んだが、それでも「博多織を中心に日本の文化を伝えるべく、もっと知りたい、勉強したい」と考えている。6月の専攻科卒業後は、博多織の職人に従事するという。博多織の魅力を「芯があって美しいところ」と語った。


 一方、高校でデザイン科を卒業した日野里美さんも、進路に博多織を選んだ一人。「最初はとにかく何もわからず、一日が長かった」と苦笑いしたが、「パッと見、派手さはあまりないし、第一印象ではわかりにくいものかもしれない。けど使ってみて初めてその良さを実感できることがわかるんです」と話した。着付けの勉強にも励み、「よさを広めるには使ってもらうのが一番。デザインや見た目でもよくできることもあるだろうし、帯に合わせた着物、着物に合わせた帯を作っていきたい」と目を輝かせた。


 たまたまニュースで見て、入学を決意した脇山俊明さんも博多織に飛び込んだ一人。「ものをつくることに憧れていた」と脱サラして同校へ。男性の彼でも体力や精神力は必要だったという。「投げ出したくなる時もあったが、講師陣の妥協しない姿勢に誰かのために作りたいと思えるようになった。男性だからできること、女性だからできることがきっとある」と力を込めて話した。


 1年生の荒木希代さんは「どうして日本人は知識もあり、最先端の技術を使い捨てるのだろう」と疑問を感じていた。編み物をしていたこともあって、博多織の世界へ。彼女もまた博多織が斜陽産業だとはわかっていて飛び込んだものの、これを2次産業も含めた可能性をさぐり、もっと認知してもらいたい、新しいものを作りたいと考えている。そのために、「学校のPRも含め、常設でもっと多くの人に見てもらう方法も考えていきたい」と話した。

■斬新なデザインで博多織の将来を描く

 これまで同校を切り盛りしてきた事務局長の野口敏彦さんは、3年間振り返り「何もない状態から始まったが、学校の認知度も徐々に広がってきた。ドラマの放送も相まって、一般の問い合わせも増え、今や博多織の広告塔としての役割も担うほどになった」と話す。卒展の作品についても「デザイン、特に色の使い方が斬新で今までの博多織ではあまり使われてこなかった赤や紫、緑を使ったものなどもある」と若手のアイディアに賞賛を送る。


 「やってきた皆はそれぞれ夢を持って、生き生きとやっている。(技術の熟練だけでなく)「博多織」という大きな将来を考えるほどに夢を持っている。きっと業界のボリュームを増やし、大きな力になってくれる」と笑顔を見せた。今後、卒業後のフォローや活躍の場を広げるため、学校としてもより尽力していくという。


 4月には男性1人を含む10名が入学、また同校の専攻科は6月に御供所町から比恵町の3階建てのビルへ移転し、7人が専攻科へ進学。博多織の未来に向かって新たなスタートを切る。



博多織デベロップメントカレッジ


■博多織も、福岡のファッションのひとつに


 鎌倉時代に宋に渡った博多商人によって伝えられた、760年以上の歴史をもつ博多織。博多織は「縦糸で表現する」と言われ、他の織物と違って非常に沢山の縦糸を使う。そのため生地がとてもしっかりしているのが本来の特徴で、朝締めても夜まで緩まない、帯刀する武士に好まれた「男帯」という質実剛健な一面も持つ。そのためこれまで、比較的シンプルなものが多かったとも言える。

 しかし博多の街が守ってきた「博多織」に惚れ込んだ人は皆いきいきしていて、熱い想いを持っているのがとても印象的だった。その眼を見れば、博多織はもっともっと、新しいステージへ進んでいけるように思えてくる。立場が違えば博多織に対する考え方もさまざまだが、皆、この素晴らしい「博多織」の魅力をもっと皆に知ってもらいたい、後世に伝えたいという想いは一緒だ。


 魅力は、触れてみないとわからないかもしれない。

 しかし僅か1年の取材の中でも、筆者自身がもっと知りたいと思うくらい、博多には長年博多の人が守ってきた、魅力ある「博多織」がある。様々なファッションが溢れる福岡でも、今一度地元産の魅力に目を向けて、取り入れてみるのもいいかもしれない。

 丸本社長から頂いた博多織の名刺入れ―今も取材先で大いに注目を集めてくれている。


取材・文/編集部 水間健介

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