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一粒にかける想い――博多のチョコのはじまりどころ
チョコレートショップ代表取締役 佐野隆さん

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世の中にひとつしかないギフトを―「サロン・ド・ギフト」をオープン

 取材に伺った1月下旬。1年で一番忙しい時期にも関わらず、佐野社長は笑顔で迎えてくれた。
 
 事務所の通路は心地よいチョコレートの甘い匂いが漂い、所狭しと材料の段ボールが並んでいた。「現在店頭に並ぶ商品は167種類で、アーモンドを除く166種類が全てオリジナル商品」だという。これまでに作った商品のレシピは1,000を超えるというから驚きだ。


 とにかくお客さんがひっきりなしに来店し、撮影するタイミングがないほどだった。
1日平均で600人、年間20万人のお客さまにご来店いただいています――」。


 昨年9月、向かいのビルの1階に「サロン・ド・ギフト」をオープンさせた。「以前はギフトというと、会社が何かのお祝い事に多くの人に配るということが多かったが、この2年くらいで自分へのご褒美や、自分の喜びを人に伝える手段としてのニーズを肌で感じてきた」という。またウェディングケーキや引き出物としての要望も強く、「リクエストがだんだん増えて、それぞれのご要望にお応えするには立ち話では難しい」


「ゆっくりとした場所で、お客様1人1人に、世の中にひとつしかないギフトを―」。
包装紙ひとつや箱にも自分らしさを望む客の声に応えるようにした。

■転機となったバレンタインの2つの思い出

 そんな同店が今年のバレンタインで提案するのは、半年以上の開発期間を経て福岡三越とのコラボレーションした商品「好いと~と」。「博多でしかできないこと、チョコレートショップでしかできないことは何だろう―」にこだわって出した答えは「歴史の軸」。


 これまで培ってきた味、今現在のチョコレートショップの味、これからのチョコレートショップの味。60年以上もバレンタインを見守ってきた思いを、6粒の中に込めた。
「できたての強さは、食べ比べてもらったらわかる。チョコレートはこんなにジューシーなんだって」。そう自信をのぞかせた。


 そんな佐野社長に自身のバレンタインの思い出を伺った。初めて作ったのは、神戸のパンの老舗「ドンク」でのアルバイト時代。大学を中退し家出した先でのことだった。


 当時の恋人に頼まれて、小さな頃から父親の作り方を見てきたトリュフを作った。「周りの職人たちが驚いてましたね」。この道に進むひとつのきっかけだった。


 そしてもうひとつ。「まだ仕事について、忙しいとかきついという『仕事』という観念だった」26、7歳の佐野社長が、2月15日、2日連続の徹夜を終え、ヘトヘトになって西通りの友人の店に食事に行った帰りのことだった。駐車場に止めた、みぞれで汚れた「C」マークのワンボックス営業車には「おいしいチョコレートをありがとう」とたくさんの書き込みがあったという。「涙が出る程嬉しかった。その頃から、お客さんに対する価値観が変わってきたんだ――」

■チョコレートショップの原点は、家族

 子どもの頃の将来の夢を尋ねると、「ケーキ屋以外なら何でもやりたかった―」。それくらいチョコレートショップの後を継ぐことを嫌がっていた。「親の仕事、苦労を見てきて、何気なく継がなきゃいけないのかな、と思っていたので、自分の子どもたちには好きなことをさせてあげたかった」。今まで子どもたちを会社に一切入れてこなかったという。


 「父親は職人気質でいっさいを言う人でなかったが、亡くなってから母親から聞かされたことがある――」こんなエピソードを話してくれた。


 同店の看板メニューのひとつに「博多ロッシェ」という商品がある。それが、「自分が生まれたことで作ってくれた商品だった」。


 「自分の代にまで乗っける(続く)ものを作ってくれた。それにはいろんな想いが詰まっていて…もちろんお客様にも(食べていただく商品)だが、『こんなおいしものがあるんだよ』って生まれくる僕らに、食べさせたかったんじゃないかな…家庭的な味で、これから生まれる家族に作った商品-それこそがチョコレートショップの原点だ」と力を込めた。


 同店に並ぶ商品には、極端にお酒が入ってたり、苦かったりする商品はない。


 365日24時間お客様のことを考えている。「これだけの社員を抱えている責任は家族と同じ責任」。もう10年以上、ゆっくり一緒にいたことはない。父親の働く姿を、子どもたちは見ていない。
 後を継げとは言わなかった。しかし、「娘がやりたい(跡を継ぎたいと)と言い始めた」。


そこには、はにかんだ笑顔があった。
24歳になる娘さんは、今はフランスで修行しているという。

■博多が育てた、チョコレートショップ

 販売は、催事を除いて博多の店舗と、9月にオープンした空港の土産店の一角だけ。


 「今までたくさんのお声がけをいただいたが、出店やコラボレーションはしてこなかった。量産体制になったり、商品がどこでどうなっていくのかがわからないのは…」と絶対的な品質へのこだわりを話す佐野社長。しかし2年前、明太子の老舗「ふくや」と「明太ロッシェ」なるコラボレーション商品を売り出した。



  話は30年前にさかのぼる。「接客という言葉がまだ形をなしてないあの頃、あんな『接客』は見たことがなかった。跡を継いだ時に、『ふくやさんの接客を手本に』とアルバイトを連れて店に行ったことがある」とのエピソードも。またコラボレーションをしたことで、「品質をとても大事にしている会社で、いい勉強をさせてもらった」と話し、「博多では、ほかにも学ぶことは多かった。例えば一風堂の河原さんの生き方。昔は汚いのがラーメン屋というイメージだったし、女の子を連れて行ける店ではなかった。汚い店がおいしいという間違った認識を変えた人」。


 佐野社長の博多に対する想いは強い。
「チョコレートショップは博多で生まれ、博多で育った、博多の気質そのもの。言わば隣の人たちと始まった広がりの集合体。あそこにいつもチョコレートショップがあってよかったな、と言われるお店になっていきたい――」


 今年は父・源作さんの生誕100周年。父親から受け継いだチョコレートと…家出中に神戸で出会ったもう一人の師匠、アラン・カスケビットさんとのコラボを考えているという。

■博多を大事にしたい

今や日本にその名を馳せる同店だが、明治通り一帯にはスイーツの店がひしめく。
「(今の店舗から約50メートル南の)旧店舗の頃から、卸問屋ばかりで博多座も何もなかったし、もちろんケーキ屋さんも1店舗もなかった。ところが…今は徒歩5分圏内に8店舗、この8年間で8店舗増えました」と苦笑い。


「でも…ひとつはお客様にとっては、それもいいのかな、と思うし、逆にお客様が増えている――認めてもらっているのかな」と話した。


 跡を継いでからの27年間、一度も売り上げが落ちたことはないという。それでも「やっぱりドキドキするよー、有名なところがくるから…」と笑ってみせた。


 年間20万人が来店する同店だが、「まだまだチョコレートショップが作ったものを食べてほしい」と話す。「安心・安全は当たり前。鮮度に命をかけている。明後日食べるチョコレートを今日作っているなんて、流通しているチョコレートではありえないし、これだけは自慢してもいいかな――」


 今後、チョコレートショップは何を目指すのか――。


「博多の方に嘘をつかないお店に、博多のお客さんの方向を向いたお店として続けていきたい。継続するためにきちっとしたものを作っていきたいし、有名無名に関わらず本物を作り続けていきたい。博多を大事にしたいんだ」


 忙しい仕事の合間を縫って、5年前から神戸で年に1回洋菓子店のバンドが集まり開催される「パティシエロックナイト」に出演している佐野社長。昨年8月には初めて福岡で開催された。社内だけでも3~4バンドあるという同店で、佐野社長はアルトサックスを演奏。今年もまたやるよ、と笑顔を浮かべて、サックスを構えての写真を撮らせて頂いた。



 博多には、日本中に誇れるほどの美味しいものが沢山ある。
しかしそれらを作ってきた人々は、並々ならぬ試練を乗り越えてきたという事実を、福岡に住む私たちは知っておきたい。


 もう10年くらい前だろうか。母親がお土産で買ってきたチョコレートは本当においしかった。それが同店の「博多の石畳」だったことを、今でも鮮明に覚えている。


 今年のバレンタイン、大切な人にはもちろん、自分へのご褒美にも買ってみてはいかがだろうか。


写真・文/編集部 水間健介

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