■まずはとにかく食べてから
もつ鍋は肉体労働をしていた炭坑夫の間で生まれたスタミナ料理と言われ、牛などの内臓(もつ)と、ニラやキャベツと一緒に煮込んだ博多の郷土料理。1990年代に東京を中心に全国的なブームになり、ここ数年でも再び脚光を浴びている。
取材をお願いした時に、最初に言われたのがこの言葉。「まずはとにかく食べてから―」。
というわけで、取材に伺ったこの日は、移転前の本店で、閉店前の最後の日曜日。スタッフの威勢のいい声が飛び交い、てきぱきと仕事をこなしていた。
「スタッフは学生のアルバイト。知らない人との会話や挨拶などの接客は、これから厳しい世の中に出る前のあなたたちにとっては勉強の場所であり、それを頭に入れて仕事をしなさいと話している」と話す。
また常連の知人曰く、「おおいし」の味は「濃厚でも臭みがなくて、とにかくクセになる。あとはスタッフのみなさんがとても感じがいい」。店内には家族連れや若い女性も多い。柔らかな照明がどこか懐かしい店内はにぎやかで、かと言ってうるさい訳ではなく、とても心地良い印象だった。
まず出てきたのは、キャベツやもやしなどたっぷりの野菜。ほどなくもつ鍋が登場した。白濁のスープにごまや鷹の爪が香ばしく、食欲をかき立てる。自宅で作るようなもつの臭みはない。大石さんは「平日はサラリーマンが多い。週末はファミリーも目立つし、幅広いお客さんに来て頂いている。若い女性も多く、ほとんど女性の時があってびっくりするときもある」と笑う。
■親子2代に受け継がれる味
博多のもつ鍋を代表する人気店だが、大石さんの生まれは、実は関東。東京で知り合った福岡出身の知人に、博多に店を出すので手伝わないかと誘われ、18歳の時に福岡に来たという。
来福後、早々に博多駅前のビルで洋食屋のランチを任せられ、ちゃんぽん、焼き飯、うどんにカレー…何でも作ったという。これが大石さんが「食」に携わる最初の入り口となったのだ。夜は知人のスナックの手伝いを頼まれ、やがて自分が店長となって店を切り盛りした。そこで現在の奥さんと知り合い、結婚。29歳で独立し、中洲のビルに小さなスナックを40歳半ばになるまで営業していた。
しかし大石さんは「スナックはいつまでもできる仕事ではない。チャンスがあれば、何か飲食店をやろうとずっと思っていた」。縁あって地元の有名なもつ鍋店でお世話になることになり、これなら行ける、という気持ちになったという。「『将来俺は店をやる』といったら、当時18歳の息子が『俺もやりたい』と、一緒に修行することになった。
1996年、修業を経て念願の店を博多区美野島にオープン。同じ店で一緒にやってきた息子さんも、2006年に約500メートル離れた2号店を切り盛りする。同じ作り方でも、常連さんには微妙な味の違いを言われることもあるといい、「彼なりの味付けになったんだと思う」と笑顔を見せた。
週末になれば、満員でお客さんを断ることが絶えない同店だが、「味が合わないとか、騒ぐお子さんを咎めたら、態度が悪い、なんて言われることもある。それでも好きといってくれる方がいる限り、誠意を尽くしたい」と話した。
■住吉通りに移転オープンへ
同店は6月30日、13年間やってきた本店を閉店。8月上旬に新店を「住吉店」、2号店を「美野島店」として再スタートを切る。
なぜ今の時期に移転するのかを伺うと「もう一軒作って、断っているお客さんを回したい、という気持ちは前々からあった。(新店で席が増えれば)今までお客さんを断ってきたものを、少しは解消できるかな、断らずに済むかな、と」。しかし続けて、「正直、とても不安はある。こんな時代に借金して出すんだから。でも、今がチャンスかなと思う。今だからいい場所を貸してくれる人が現れたし、今のうちに我慢して、数年たって景気がもどってくればきっとよくなる」と語った。新店は博多のメーンストリートのひとつ、住吉通りに面した場所に建設中で、8月初旬にオープンする。全体で8テーブル、今の店舗より32席増える予定だ。玄関やトイレは、特に女性が好むように作るとのこと。
■味の秘密は、信頼関係
近年続くもつ鍋人気についても「もつ鍋はニラ、キャベツ、ごぼうなど、とにかく野菜が沢山とれてバランスがいい。もつ、味噌、ごまも体にいいし、女性にはもちろん、男性にも喜んでもらえているのでは」と分析。その上で人気の秘密を率直に尋ねると「何か特別な勉強をしてきた訳ではないが、自分なりに自分でやって味を体で覚えてきた」と話す。「味についてはもちろん企業秘密だけど、出汁の取り方でそれぞれの味が決まる――」。
しかし自分で作ると、どうも臭みがあったり、なかなか美味しくできない…ならば家庭でおいしく作るコツがないかを尋ねると、「もちろん新鮮なもつを選んだほうが食べやすい。また国産でも1回、2回冷凍すると油が離れてぷりぷり感がなくなってしまうので、注意が必要だね」と話し、「逆においしいもの作られたらうちも困るけど」と笑った。
しかし人気の裏には、店主としての大石さんの信念があった。「季節季節によって野菜もいい時、悪い時がある。だから八百屋を大事にすること。よく話をして、こういうものをお願いしますね、といっておかないと。もちろん肉屋もそう」と話し、「その日その日のいいものを仕入れてもらうためには、肉屋にしろ八百屋にしろ、信頼関係が何より大事」と説く。
これまで仕入れてきた肉屋、八百屋と酒屋もちゃんぽん屋も、付き合ってから一切変えていないという。「向こうも相談乗ってくれる。いいお付き合い。悪い時はどちらからとも言える。これが大事なこと――」。
更に「もつも野菜も値段は上がってきている。昔から知っている人は、もつは安いものだと思っているし、新店では人件費や家賃が上がるが、それでも価格は何とか抑えていきたい」とも話している。
■「福岡は本当にいいところだ」
「横浜から最初に来た時、ちょうど以前の博多駅が出来た頃で駅舎には感動したが、まわりは田んぼだらけ。田舎に来たと思った。市電が走っている天神や中洲を見てほっとした」と話す。
スナックをやっていた頃から数多くの転勤族の話を聞くなどしてきた大石さんは、「住むなら福岡だと思う」と言い切る。首都圏に戻った知人からも、未だに福岡に住みたいと言われるそうだ。
「大都会でなければ田舎でもない。新鮮な食材も何でもある。東京に見劣りない都会だし…それだけに福岡の人に言いたい。福岡は本当に素晴らしいところだと」
九州新幹線開通後については、「店も大きくなるし、九州各地の方にもつ鍋を食べてもらえたらもちろん嬉しいが、個人的には博多がこれ以上大きくなってもらいたくないような、そんな気持ちもある」と話す。
「最初は20歳までしかいないつもりだった」と話す大石さん。結婚して、40数年居ついちゃったね」と笑う。今年、ちょうど還暦を迎える。
■もつ鍋店は天職
「鍋といっても自分のものにするにはそれなりの月日がいると思う。13年やってきて、『これがおおいしの味だな』とお客さんから少しずつ言われるようになってきた。これを大事にしていきたい」と話す。また「日本料理、フランス料理、中華料理でもそうだが、味ひとつにものすごく繊細な味を出さなきゃいけないという方たちはすごいそれに対して想いがあると思うが、鍋は、これひとつ入れたら味が変わるというものではない。だからこそ、お客様を大事にしたい。これは変わらない」と続けた。
更に「この味だけは変えない。味の好みは本当に人それぞれだと思うけど、人から何言われようと同じでいきたい。料理に対してはこれが私の天職だと思っているし、店に対しては13年やってきたことの総決算で新しく店で少しずつ前進している。止まりたくない。体の動く限りはこの仕事をしていたい」と熱く決意を話してくれた。
■本場博多の「もつ鍋」
本店の営業を終えて――。「これから引越しの準備。息子がやっている2号店は10月で丸3年。8月までの1カ月は美野島店のみ、引っ越し作業をしていく。向こうは向こうで息子がしっかりやっている。若い子を教え込んで、いったり来たりできるようにする」と意欲は衰えない。
「ちょっと離れただけで、雰囲気もスタッフも変わらずに、そのまんまの状態を向こうに持っていく。店は新しくなるが、きっと喜んでもらえると思う」と力を込めた。
「新店舗を出すが、気持ちはすべてが一から。今ようやく少し土台ができたから、もう一回この土台をしっかりするために、自分も皆にもお客さん一番大事ということをもう一度叩き込んで頑張りたい」。一からというより、新店の借金でマイナスからだ、と笑い飛ばした。
そんな大石さんの休みの日は「今は天気がいい時は、バイクに乗っている。バイクは今しか乗れないから」自慢の1300ccのハーレーには、奥さんを後ろに乗せるときに少しでも疲れないように、と今は後ろに大きめのシートを付けているという。
長きにわたって博多が育んできたもつ鍋文化。
そして博多の地に魅せられて、育ち、育てられたもつ鍋「おおいし」。
住んでいる人間の偏見かもしれないが、
他県の「博多」の名を冠したお店の味に納得がいかないこともある。
そこへ行くと、この値段とこのうまさは、やはり本物だと思う。
写真・文/編集部 水間健介